カンチョクトの側近
「我が国が有効に支配している尖閣諸島に対して他国が侵略してきたら、あらゆる犠牲を払ってでも自衛権を行使してこれを排除する」
枝野官房長官、悪いモンでも食ったのか。
もう菅内閣が終焉なので今のうちに好き勝手に言っておきたいのか。
まぁそこまで言うなら竹島問題にも言及してほしいもんです。
さて、いよいよ終焉を迎える菅内閣ですが当のカンチョクトはシースー食べてご満悦。
菅直人首相は10日夜、都内のすし店で側近の民主党の阿久津幸彦内閣府政務官、寺田学、加藤公一両衆院議員と会食した。出席者によると、首相は「(岡田克也)幹事長が大変よく頑張ってくれた」などと語り、特例公債法案などの成立に向けて野党との調整に当たった岡田氏の労をねぎらった。ようやく退陣を明言した首相は終始リラックスした様子だったといい、店を出る際は記者団に「(会食は)楽しかった」と上機嫌で語った。 (2011/08/10-21:43)
「(総理と言う権力は)楽しかった」
と言ったのかと。
そして、労をねぎらったが断固岡田氏本人には言わない所存だな。
この側近中の側近である阿久津幸彦衆院議員、寺田学衆院議員、加藤公一衆院議員。
阿久津議員は石原慎太郎の秘書で新党さきがけ時代からのカンチョクトの古参の側近。
寺田議員は選挙が上手く父はみんなの党の参院議員、祖父も県会議員というサラブレッド。今は既婚か独身どうか知らんが、確か議員宿舎で東京のOLと同棲してたんだがどうしたんだろう。
加藤議員はステイツマンという名の民主党支援団体がバック。このあたりが市民団体出身のカンチョクトの琴線に触れたか。九州男児とB型を差別して辞任した松本龍議員と戸籍制度廃止を目的とする議員連盟と思われる。
■ 阿久津幸彦 (55歳、東京都第24区、衆院議員、当選3回)
1984年から約10年にわたって、石原慎太郎の公設秘書となる。
1993年には東京都議会議員選挙に三鷹市選挙区から無所属で立候補するも、落選。そののち、菅直人の誘いにより新党さきがけに入党し、1994年から約2年間、菅直人の片腕として政策委員として活躍。菅直人から「同じ議員の中で一番信頼できる人」と言われるほどの信頼を得た。
■ 寺田学 (34歳、秋田1区、衆院議員、当選3回)2005年の第44回衆議院議員総選挙では小泉旋風に乗る自由民主党の二田孝治を約9000票差で下し、再選(二田も比例復活)。
この総選挙で民主党は大敗し、岡田克也代表は辞任。岡田の後継を選出する民主党代表選挙では菅直人の推薦人、選挙対策本部事務局長を務めるも、菅はわずか2票差で前原誠司に敗れた。
父はみんなの党所属の参議院議員で、元秋田県知事の寺田典城。母方の祖父は元秋田県議会議員の寺田栄四郎。
■ 加藤公一 (47歳、東京20区、衆院議員、当選4回)2000年の第42回衆議院議員総選挙に東京都第20区から民主党公認で出馬し、NPOステイツマンの全面支援を受けて初当選を果たした。
2003年、民主党役員室次長に就任し、菅直人民主党代表を補佐した。
NPOステイツマン…1996年に結成された学生ボランティア主体の議員支援団体。市民の手で信頼できる政治家を送り出す事を目的とするNPO。