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2009
0807
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大原麗子、死去


大原麗子さん孤独死…警察が自宅で発見

 孤独死の発見を導いたのは、大原さんの弟がかけた1本の電話だった。

 「2週間前から姉と連絡が取れない。携帯に電話をかけても出ない。どうしたらいいでしょう」

 今月3日、都内に住む弟が成城署に電話で相談。同日、署員が様子を見に行ったが、鍵がかかり中に入れなかったという。6日午後7時10分ごろ、合鍵を持った弟が同行して、署員4、5人が室内へ。大原さんは、2階の寝室であおむけに倒れていた。

 外傷や着衣の乱れはなく、自宅玄関や駐車場の出入り口は施錠され、現金が盗まれた形跡もないことから、同署は事件性は薄く病死とみている。自殺の可能性について「今のところはない」とした。遺体は死後約2週間が経過しており、一部腐敗がみられる。同署が詳しい死因を調べ、弟の要請があれば行政解剖を行うという。

 昨年11月、サンケイスポーツが直撃取材した際、大原さんは白壁の洋風の豪邸に高齢の実母と2人で暮らしていた。当時、実母は介護が必要な状態だったが、現在は施設に入り、大原さんは1人住まいだった。

 サンケイスポーツ取材のきっかけとなったのは、昨年11月の自宅ガレージでの転倒事故。ギラン・バレー症候群によるもので、大原さんは右手首骨折と膝を打撲する重傷を負った。だが、大原さんは91年と93年に乳がんの手術を受けていたことを明かし、そればかりか、ギラン-の主治医が亡くなった際に支えを失い、うつ病にかかったことも激白。

 難病を抱え、母親の介護が困難な状態だと辛そうに語る一方で、「本当は何度も(ギラン-が)再発しているけれど、同じ病気の方がこわがるから公表してこなかった」と気丈さも見せ、闘病への意欲は失っていなかった。

 64年にNHKの新人オーディションに合格しデビュー。独特のハスキーボイスに甘えた口調、和風の清楚な顔立ちで多くの男性ファンを得た。

 “癒しのヒロイン”の異名を持ち、映画やドラマで男にとって理想の女性になる一方で、私生活では2度の結婚に破れた。俳優、渡瀬恒彦(65)と73年に結婚し5年で離婚。80年に歌手、森進一(61)と再婚したが84年に離婚した。いずれも、大原さんが家庭より仕事を優先した結果だった。

 華やかな女優生活の裏で味わった男性との別れ、その後の孤独な闘病生活…。サントリーのCM「すこし愛して、長~く愛して」の名ぜりふで見せたこわく的な笑みは、“永遠に愛される”。


映画「獄門島」(1977)の大原麗子



ご冥福をお祈りします。

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